海軍燃料廠採炭部 新原採炭所本部跡 (新原公園) 附 萩尾善次郎銅像、海軍燃料廠第四坑表札、海軍炭鉱創業記念碑道標

更新日:2021年10月29日

開坑から閉山まで国営であった国内唯一の炭坑

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海軍直営の炭坑

新原は、良質の石炭を産出する土地でした。艦船用の石炭を国内に求めていた海軍は、明治21(1888)年に有事の際に石炭を採掘する「海軍予備炭山」に指定し、新原採炭所を置きました。海軍採炭所、海軍燃料廠採炭部、戦後は国鉄志免鉱業所として我が国の発展を支えました。

新原公園に残る海軍炭鉱の資料

新原公園は、昭和4年に志免町に移転するまで、海軍燃料廠の庁舎が置かれていた場所です。その後、海軍炭鉱創立50周年を記念して公園が整備され、創業記念碑等が設置されました。新原公園は、海軍炭鉱に関する資料が集められており、海軍炭鉱の資料が現存する唯一の場所となっています。

(1)海軍炭鉱創業記念碑(昭和13年)

海軍炭鉱の創業50周年を記念するもので、須恵村、宇美村、志免村、仲原村の有志が発起人となり建立しました。中央の文字は、当時の海軍大臣米内光政によるものである。石材は徳山石(花崗岩)、高さは10mをはかります。

(2)海軍炭鉱創業記念史碑(昭和13年)

海軍炭坑の沿革や歴代役員を記した石碑です。

(3)第三坑の坑口枠(明治25年)

宇美町桜原にあった海軍炭鉱第3坑の坑口枠(花崗岩製)を移設しています。

(4)海軍技師萩尾善次郎像

海軍技師萩尾善次郎氏の胸像です。現在は上半身コンクリート、顔の部分のみ鉄製の像となっています。銅像本体は戦争供出を免れ、個人で大事に保管されており、現在は歴史民俗資料館で寄託を受けています。

(5)海軍炭鉱第2坑竪坑址の道標(昭和27年)

新原の昭元町に位置していた海軍炭鉱第2坑の竪坑付近に建てられた道標。現在は公園内に移築されています。

(6)海軍炭鉱創業記念碑誘導標識(昭和13年)

新原公園入口に立てられた石碑です。

(7)鎮魂碑(大正2年)

公務殉難者の慰霊碑。昭和13年に移設されました。

【附】

(1) 萩尾善次郎銅像は、本来、公園内に設置されていたものであるが、戦争供出の際にコンクリート(顔面鉄製)像に替えられています。銅像本体は戦争供出を免れ、個人で大事に保管されており、現在は歴史民俗資料館で寄託を受けています。

(2)海軍燃料廠第四坑表札は、第四坑本部に設置されていたものです。

(3)道標は、新原の4つ角に現在立っており、創業記念碑への道標となっています。

概要一覧
名称

海軍燃料廠採炭部 新原採炭所本部跡 (新原公園)
附 萩尾善次郎銅像、海軍燃料廠第四坑表札、海軍炭鉱創業記念碑道標、志免鉱業所境界標

指定年月日 平成25年4月1日
所在場所 須恵町大字新原170-1
指定の理由 開坑から閉山まで唯一国営であった志免鉱業所の前身である海軍燃料廠の資料が現存する唯一の場所であるため
現状 史跡
伝来その他参考となるべき事項  

 

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